倉橋 伸直プロフィール
1972年生まれ、愛知県岡崎市出身。
学生時代より、空手、合気道、少林寺拳法等各種武道を転々と学んでいたが、親の仕事の都合で転居した事等により、すべて中途半端に終わり社会人になるまでは、武道の段には恵まれなかった。
転機を迎えたのが、SO警備会社に勤めている時、会社内に元自衛官が多く勤めていた事もあり、会社内で銃剣道の大会が、当時毎年開かれていて、倉橋も元自衛官であった為大会に毎年出場する事になり、それが縁で初めての武道の段、銃剣道の初段を取る。
銃剣道の練習及び警戒棒の練習になると思い、愛知県護身道・スポーツチャンバラ協会、初代童夢殿館長、 (故)山中師範に護身道・スポーツチャンバラの指導を受けると共にスポーツチャンバラ岡崎支部、岡崎童夢殿館長として、スポーツチャンバラの普及に務める。
やがて護身道・スポーツチャンバラに疑問を持つようになり、転職をする事になった事も重なり、スポーツチャンバラ協会を退会し岡崎支部、岡崎童夢殿も閉館、銃剣道からも遠のいた。
次の就職したT警備会社に就職して落ち着いてから、幾つかの護身術団体の講習を受け、自分自身今まで身に着けた武道も合わせた物を元にして、会社の仲間と護身術団体S.G.D.T(セキュリティー ディフェンステクニックの略)を立ち上げ活動を開始。
その時、戸山流居合抜刀道美濃羽会豊田支部・武心塾・(故)向田師範(のちの戸山流居合抜刀術(故)向田派宗家)に居合、剣術、杖道(術)、短杖術、十手術、鎖鎌術等を学ぶ。
T警備会社の将来に不安を感じた為、元自衛官の同期の紹介もあり、S警備会社に転職。
その時S.G.D.T自然消滅。
向田宗家より、戸山流居合抜刀道五段を認可された事を期に、武心塾岡崎支部を立ち上げるが、しばらくして武心塾本部が、岡崎支部と合併した事により、支部長から指導員になりそれから副代表になった後、柳澤流に専念する為休会、その後退会。
武心塾指導員をやる傍ら、警備業を実施する上で、以前から体術の必要性が高いと認識していた為、柳澤流に入会し、初めは通信教育で修練したが、通信では一部、分からない所もあり東京本部に講習に行く様になる。
初めの一年間は愛知岡崎同好会として、それから一年間は同好会を維持出来た為、全日本正柳館連盟・愛知岡崎支部を立ち上げ、支部長となった。
2017年インターネットで学べる清心流拳法空手に興味をもち入会。
正柳館愛知岡崎支部の指導をしながら並行して清心流空手拳法を学ぶ。
2017年以前柳沢流上田宗家より、本団体は、息子が継がないため私の代で終わる旨を伝えられていた事や、その他柳沢流及び正柳館に疑問を持つようになり、2024年12月31日正柳館愛知岡崎支部を解散し全日本正柳館連盟を退会。
2022年6月昇段試験に初めて全日本清心会本部に行き全日本清心会・大久保会長より直接指導して頂き初段合格。
その後は、柳沢流を修練すると共に清心流空手も続け、そのまま柳沢流をメインに清心流は個人で修練するのみにするつもりであったが、前記の理由につき正柳館を離れた為と、2025年9月再度全日本清心会本部に昇段試験に行き二段を取得、清心流指導員にして頂いた為、
2025年9月全日本清心会豊田同好会を立ち上げ現在に至る。
清心流拳法空手二段指導員、清心流短棒護身術、戸山流居合抜刀術(美濃羽系向井田派)免許皆伝、柳沢流護身術免許皆伝・正柳館短棒術免許皆伝、杖道二段、楊名時太極拳中伝、銃剣道初段、小太刀護身道初段、短刀護身道初段。
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